はじめに:深刻化する熱中症リスクと2025年の新たな動き
近年、気候変動の影響により、日本の夏は年々厳しさを増しています。熱中症による救急搬送人員は毎年数万人を超え、死亡者数は5年移動平均で1,000人を超える高い水準で推移しています。このような状況を受け、2025年には熱中症対策に関する重要な制度変更が相次いで実施されました。
特に注目すべきは、令和6年(2024年)4月から運用が開始された熱中症特別警戒アラートです。これは従来の熱中症警戒アラートの一段上の警戒情報として新たに創設されたもので、過去に例のない危険な暑さが予想される場合に発表されます。さらに、2025年6月1日からは、労働安全衛生規則の改正省令が施行され、職場における熱中症対策が義務化されることになりました。これらの変更は、増加する熱中症被害を防ぐための社会全体の取り組みとして、極めて重要な意味を持っています。
熱中症とは:正しい理解が予防の第一歩
熱中症は、高温多湿な環境下で体温調節機能が正常に働かなくなることで起こる、命に関わる可能性のある病態です。体内の水分や塩分のバランスが崩れ、体温の調節ができなくなることで、様々な症状が現れます。特に重要なのは、熱中症は健康な人でも発症する危険性があるということです。しかし同時に、予防法を知っていれば確実に防ぐことができる病気でもあります。
熱中症を引き起こす条件は「環境」と「からだ」と「行動」の3つの要因が複雑に関係しています。環境要因としては、高温、多湿、風が弱い、日差しが強いといった気象条件があります。身体要因では、高齢者や乳幼児、肥満の方、持病がある方、体調不良の方などが熱中症になりやすいとされています。行動要因としては、激しい運動、長時間の屋外作業、水分補給不足などが挙げられます。これらの要因が重なることで、熱中症のリスクは飛躍的に高まります。
熱中症の初期症状とは:見逃さないための重要サイン
熱中症の初期段階では、身体が発する様々なサインが現れます。医学的には、熱中症による脱水で特に影響を受けやすいのが脳、消化器、筋肉であることが分かっています。これらの臓器は機能の維持に水分が多く必要であるため、脱水の症状が現れやすいのです。
脳への影響による症状としては、めまいや立ちくらみが代表的です。また、頭痛や集中力・記憶力の低下、意識がぼーっとするといった症状も現れます。消化器への影響では、吐き気や嘔吐、食欲不振、腹痛などの症状が見られます。筋肉への影響としては、筋肉痛やこむら返り、手足のしびれ、全身の倦怠感などが特徴的です。
熱中症は重症度によって、Ⅰ度(軽症)、Ⅱ度(中等症)、Ⅲ度(重症)の3つの段階に分けられます。Ⅰ度では立ちくらみやめまい、筋肉のこむら返り、大量の発汗などが見られます。Ⅱ度になると頭痛、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感、集中力や判断力の低下といった症状が現れます。Ⅲ度は最も危険な状態で、意識障害やけいれん、40℃以上の高体温、まっすぐ歩けないといった症状が見られます。
特に注意が必要なのは高齢者と子どもです。高齢者は暑さやのどの渇きを感じにくくなっているため、知らないうちに熱中症になっていることがあります。さらに、高齢者は脇の下で測る体温が正確な体温を反映しておらず、熱中症でも体温が上がっていないケースもあるため、体温だけで判断するのは危険です。一方、子どもは体温調節機能や汗腺の働きが十分に発達しておらず、熱中症になりやすいため、保護者の細やかな観察が必要です。機嫌が悪い、ぐったりしている、おしっこの量が少ないなどのサインを見逃さないことが重要です。
熱中症警戒アラートとは
熱中症警戒アラートは、危険な暑さが予想される場合に、暑さへの「気付き」を促し熱中症への警戒を呼びかける重要な情報システムです。このアラートは、府県予報区等内の暑さ指数(WBGT)情報提供地点のいずれかにおいて、日最高暑さ指数が33以上となることが予測される場合に発表されます。発表のタイミングは前日の午後5時頃と当日の午前5時頃の2回で、これにより事前の準備と当日の行動変更の両方に対応できるようになっています。
2025年4月から運用が開始された熱中症特別警戒アラートは、気温が特に著しく高くなり熱中症による人の健康に対する重大な被害が生じるおそれのある場合に発表される、より深刻な警戒情報です。このアラートは、それぞれの都道府県内の全ての暑さ指数情報提供地点において、翌日の日最高暑さ指数が35以上となることが予測される場合に、前日の午後2時に発表されます。
熱中症警戒アラートが発表された場合には、積極的な予防行動が求められます。まず、外出はできるだけ控え、不要不急の外出は避けることが重要です。屋外やエアコンが設置されていない屋内での運動は、原則として中止や延期をすべきです。普段以上に熱中症予防行動を実践し、のどが渇く前にこまめに水分を補給したり、なるべく涼しい服装を心がけたりすることが必要です。また、高齢者や子ども、病のある方、肥満の方、障害のある方などは熱中症にかかりやすいため、周りの方が「夜間でもエアコンを使う」「こまめな水分補給を心掛ける」など、積極的に声をかけることが大切です。さらに、暑さ指数(WBGT)を環境省熱中症予防情報サイトなどで確認し、行動の目安にすることも重要です。
2025年6月施行:職場における熱中症対策の義務化
2025年6月1日より施行される労働安全衛生規則の改正は、職場における熱中症対策を大きく変える転換点となります。この義務化の背景には、深刻な労働災害の実態があります。2022年から2024年の3年連続で、職場における熱中症による死亡者数は30人を超えており、さらに熱中症による重篤な災害103件のうち100件が、初期症状の放置や対応の遅れがあったという衝撃的な事実が明らかになっています。
義務化される熱中症対策は、大きく3つの要素から構成されています。第一に、早期発見のための報告体制の整備です。熱中症の自覚症状がある従業員や、熱中症の恐れがある従業員を発見した人が、スムーズに報告できるよう、明確な報告先と連絡方法を確立し、休憩場所への掲示などで周知を徹底することが求められます。第二に、重篤化防止のための措置として、事前に応急処置や医療機関への搬送手順を定めておくことが必要です。第三に、特にリスクの高い作業場では、作業者の健康状態を定期的に確認する体制を整えることが求められています。
これらの対策が義務付けられる対象は、WBGT28度以上または気温31度以上の環境下で、連続1時間以上または1日4時間超の実施が見込まれる作業です。この条件は、建設現場や製造業だけでなく、医療・福祉施設内の厨房、浴室、倉庫、訪問系サービスや屋外作業など、日常的に暑熱環境下での作業が発生しうる現場すべてが含まれます。
違反時の罰則も明確に定められており、6か月以下の懲役拘禁刑または50万円以下の罰金が科される可能性があります。これは、熱中症対策が単なる努力目標ではなく、法的義務として位置づけられたことを意味しており、企業は真剣に対策に取り組む必要があります。
熱中症の対処法:初期対応が生死を分ける
熱中症が疑われる場合の応急処置は、迅速かつ適切に行うことが極めて重要です。まず第一に行うべきは、涼しい場所への移動です。エアコンが効いている室内や風通しのよい日陰など、できるだけ涼しい場所へ速やかに避難させることが必要です。
次に重要なのは身体の冷却です。衣類を脱がせて体内の熱を外に出し、露出させた皮膚に水をかけ、うちわや扇風機などで仰ぐことで体温を下げます。特に効果的なのは、太い血管が通る部位を冷やすことです。首筋、脇の下、太ももの付け根(鼠径部)に氷嚢や冷たいタオルを当てることで、効率的に体温を下げることができます。また、予防的な冷却方法として、手のひらを冷やすことも有効であることが最近の研究で明らかになっています。
水分・塩分の補給も欠かせません。意識がはっきりしている場合は、冷たい水や経口補水液、スポーツドリンクを与えます。ただし、意識障害がある場合は水分が気道に流れ込む可能性があるため、無理に飲ませてはいけません。また、吐き気や嘔吐の症状がある場合には、すでに胃腸の動きが鈍っていると考えられるので、口から水分を入れることは避けるべきです。
医療機関への搬送が必要な場合の判断も重要です。熱中症を疑う症状があり、意識がない、または呼びかけに対する返事がおかしい場合は、すぐに救急車を呼ぶ必要があります。自力で水分補給ができない場合や、適切な応急処置を行っても症状が改善しない場合、体温が40℃を超えている場合、けいれんを起こしている場合なども、速やかに医療機関を受診すべきです。
効果的な熱中症予防策
熱中症を予防するためには、暑さ指数(WBGT)を活用することが極めて有効です。暑さ指数は、気温に加え、人体と外気との熱のやりとり(熱収支)に着目した指標で、湿度、日射・輻射など周辺の熱環境、気温の3つを取り入れた総合的な指標です。環境省熱中症予防情報サイトで確認でき、WBGT31以上では運動は原則中止、28~31では激しい運動は中止、25~28では積極的に休憩、21~25では積極的に水分補給といった目安で行動を判断します。
適切な水分・塩分補給も欠かせません。単にお茶や水を飲んでいるだけでは、体内に水分は効率的に吸収されません。電解質であるナトリウムやカリウムといった物質が入った体液に近い水分を取ることが必要です。経口補水液(OS-1など)やスポーツドリンク、塩分タブレットと水の組み合わせなどが推奨されます。
暑熱順化、つまり暑さに体を慣らすことも重要な予防策です。熱中症は暑さに慣れていない人に多く発生する傾向があります。本格的な暑さの前から軽い運動を始めたり、入浴で汗をかく習慣をつけたり、徐々に暑い環境での活動時間を増やしたりすることで、体を暑さに適応させることができます。
生活習慣の見直しも欠かせません。十分な睡眠で体調を整え、バランスの良い食事で体力を維持することが大切です。過度の飲酒は脱水を招くため注意が必要で、風邪や下痢など体調不良時は特に熱中症のリスクが高まることを認識しておく必要があります。
環境の整備も重要な要素です。職場や家庭でエアコンを適切に使用し(28℃以下推奨)、扇風機やサーキュレーターを併用して空気を循環させることが効果的です。遮光カーテンやすだれを活用し、風通しを改善することも、室内の温度上昇を抑える有効な方法です。
猛暑日の過ごし方:特に注意すべきポイント
猛暑日には、時間帯に応じた対策が重要になります。早朝の5時から8時は比較的涼しい時間帯ですが、この時間帯に活動する場合でも水分補給を忘れてはいけません。日中の10時から16時は最も危険な時間帯であり、不要不急の外出は避けるべきです。やむを得ず外出する場合は、日陰を選んで歩き、こまめに休憩を取ることが大切です。夕方から夜間にかけては、気温は下がっても湿度が高い場合があり、就寝中の熱中症にも警戒が必要です。
服装の工夫も熱中症予防に大きく貢献します。通気性の良い素材である綿や麻を選び、明るい色の服で熱を反射させることが効果的です。ゆったりとしたデザインの服を着用し、帽子や日傘を活用することで、直射日光から身を守ることができます。
熱中症対策の情報源とツール
熱中症対策を効果的に行うためには、信頼できる情報源を活用することが重要です。環境省熱中症予防情報サイト(https://www.wbgt.env.go.jp/)では、暑さ指数の確認や熱中症警戒アラートの発表状況を随時確認できます。厚生労働省の熱中症関連情報サイトでは、職場における熱中症予防対策や予防啓発資料のダウンロードが可能です。
さらに便利なのが、環境省が提供するメール配信サービスです。環境省が発表する熱中症特別警戒アラートと熱中症警戒アラートを、登録したメールアドレスに直接配信してくれるサービスで、希望する地域を選択して登録することができます。環境省LINE公式アカウントでも同様の情報提供を受けることができ、スマートフォンを活用した迅速な情報収集が可能になっています。
さいごに
熱中症対策は、個人の努力だけでなく、家族、職場、地域全体で取り組むことで初めて効果を発揮します。正しい知識を共有し、お互いに声をかけ合いながら、熱中症による被害をゼロに近づけていく努力を続けることが求められています。
2025年は、熱中症特別警戒アラートの運用開始や職場での対策義務化など、社会全体で熱中症対策が大きく強化される重要な転換点となっています。これらの新しい制度を有効に活用し、一人ひとりが責任を持って行動することで、誰もが安全に夏を過ごせる社会の実現を目指していきましょう。熱中症は予防できる病気です。この事実を忘れることなく、日々の生活の中で着実に対策を実践していくことが、私たち全員に求められています。
参考文献
環境省熱中症予防情報サイト
https://www.wbgt.env.go.jp/
環境省「熱中症警戒アラート・熱中症特別警戒アラートについて」
https://www.wbgt.env.go.jp/alert.php
厚生労働省「熱中症関連情報」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/nettyuu/index.html
政府広報オンライン「熱中症特別警戒アラートとは?発表時の対策と熱中症予防のポイント」
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201206/2.html
厚生労働省「職場における熱中症対策の強化について(令和7年6月1日施行)」
https://jsite.mhlw.go.jp/toyama-roudoukyoku/news_topics/oshirase/0706nechushokyoka.html
労働安全衛生規則の一部を改正する省令(厚生労働省令第57号)
公布日: 2025年4月15日
本記事は2025年7月16日時点の情報に基づいて作成しています。熱中症対策に関する法令や制度は変更される可能性があるため、最新の情報については各公的機関のウェブサイトでご確認ください。
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仁川診療所
院長 横山 亮
(よこやま りょう)