心臓弁膜症とは
心臓は全身に血液を送り出すポンプの役割を果たしていますが、その中で重要な働きをしているのが「弁」です。心臓には4つの弁があり、それぞれが扉のように開閉することで、血液が正しい方向に流れるようにコントロールしています。心臓弁膜症は、これらの弁に異常が生じて、血液の流れに支障をきたす病気です。
心臓の4つの弁は、それぞれ異なる場所で異なる役割を担っています。左心室と大動脈の間にある大動脈弁、左心房と左心室の間にある僧帽弁、右心室と肺動脈の間にある肺動脈弁、右心房と右心室の間にある三尖弁です。これらの弁が正常に働くことで、私たちの体に必要な酸素と栄養が効率よく運ばれています。
弁膜症には大きく分けて2つのタイプがあります。弁が硬くなって十分に開かなくなる「狭窄症」と、弁がきちんと閉じなくなって血液が逆流する「閉鎖不全症(逆流症)」です。どちらのタイプも心臓に余計な負担をかけ、放置すると心不全など深刻な状態に至る可能性があります。しかし、現代の医療技術により、多くの患者さんが適切な治療を受けて、良好な生活を送ることができるようになっています。
心臓弁膜症の原因を理解する
心臓弁膜症の原因は時代とともに変化してきました。かつては、リウマチ熱による弁膜症が多く見られましたが、衛生環境の改善や抗生物質の普及により、現在では加齢に伴う変性が最も多い原因となっています。
加齢による弁の変性は、長年の使用により弁にカルシウムが沈着し、弁が硬くなることで起こります。特に大動脈弁狭窄症は、65歳以上の高齢者に多く見られ、動脈硬化と同じようなメカニズムで進行します。弁の組織が徐々に厚くなり、石灰化することで、弁の開きが悪くなっていきます。
リウマチ熱は、溶連菌感染症の後に起こる免疫反応により、心臓の弁に炎症が生じる病気です。子どもの頃にリウマチ熱にかかった方は、数十年後に弁膜症を発症することがあります。特に僧帽弁が影響を受けやすく、弁が厚くなったり、癒着したりすることで、狭窄症や閉鎖不全症を引き起こします。
先天性の弁膜症も重要な原因の一つです。最も多いのは、本来3枚あるべき大動脈弁が2枚しかない二尖弁です。この異常があると、弁への負担が大きくなり、通常より早い年齢で弁膜症を発症することがあります。日本人の約1〜2%に見られるといわれています。
感染性心内膜炎は、細菌が血流に乗って心臓の弁に付着し、感染を起こす病気です。弁を破壊し、急速に重症化することがあるため、早期診断と治療が極めて重要です。虫歯や歯周病、皮膚の傷などから細菌が侵入することがあるため、口腔ケアや傷の適切な処置が予防につながります。
その他、マルファン症候群などの遺伝性結合組織疾患、心筋梗塞による乳頭筋の障害、薬剤(かつて使用されていた食欲抑制薬など)による弁膜症なども知られています。
心臓弁膜症の症状の現れ方
心臓弁膜症の症状は、病気の進行とともに徐々に現れることが多く、初期には自覚症状がないことも珍しくありません。そのため、健康診断で心雑音を指摘されて初めて発見されることもあります。
最も一般的な症状は息切れです。最初は階段を上ったときや坂道を歩いたときに感じる程度ですが、病気が進行すると平地を歩いても息が切れるようになり、さらに進むと安静時にも呼吸が苦しくなります。これは、弁の異常により心臓が効率よく血液を送り出せなくなり、肺に血液がうっ滞するためです。
疲れやすさも重要な症状です。以前は普通にできていた家事や仕事が疲れてできなくなる、少し動いただけで休憩が必要になるなどの変化があれば要注意です。心臓が十分な血液を全身に送れないため、筋肉や臓器が酸素不足になり、疲労感が生じます。
動悸や不整脈も弁膜症でよく見られる症状です。特に僧帽弁の病気では、左心房が大きくなることで心房細動という不整脈が起こりやすくなります。脈が不規則になったり、胸がドキドキしたりする感覚を自覚することがあります。
むくみは、心臓の機能が低下して起こる症状です。最初は夕方になると足がむくむ程度ですが、進行すると朝からむくみが残るようになり、体重が増加します。さらに進行すると、お腹に水がたまって膨らんだり(腹水)、肺に水がたまって呼吸が苦しくなったりします。
胸痛や胸の圧迫感は、特に大動脈弁狭窄症で見られる症状です。心臓の筋肉に十分な血液が供給されないため、狭心症のような症状が現れます。運動時に胸が締め付けられるような痛みを感じたら、早めの受診が必要です。
失神や意識消失も、重症の弁膜症で起こることがあります。特に大動脈弁狭窄症では、運動時に血圧が下がって失神することがあり、これは非常に危険な兆候です。
心臓弁膜症の診断方法
心臓弁膜症の診断は、まず医師による問診と聴診から始まります。聴診器で心臓の音を聞くと、正常では聞こえない雑音(心雑音)が聞こえることがあります。この心雑音の性質、タイミング、強さなどから、どの弁にどのような異常があるかをある程度推測できます。
心エコー検査(心臓超音波検査)は、弁膜症の診断に最も重要な検査です。超音波を使って心臓の動きをリアルタイムで観察でき、弁の形態、動き、血流の状態を詳しく評価できます。弁の開口面積、逆流の程度、心臓の大きさや機能なども測定でき、弁膜症の種類と重症度を正確に診断できます。痛みもなく、繰り返し行える安全な検査です。
心電図検査では、心臓の電気的な活動を記録します。弁膜症による心臓の負担や肥大、不整脈の有無などがわかります。特に心房細動などの不整脈の診断に有用です。
胸部X線検査では、心臓の大きさや形、肺の状態を確認します。心臓が大きくなっていないか、肺に水がたまっていないかなど、心不全の兆候を見つけることができます。
運動負荷試験は、運動時の症状や心電図の変化を見る検査です。安静時には症状がない患者さんでも、運動により症状が誘発されることがあり、手術のタイミングを決める際の参考になります。
心臓カテーテル検査は、より詳しい情報が必要な場合に行われます。カテーテルという細い管を血管から心臓まで挿入し、心臓内の圧力を直接測定したり、造影剤を使って冠動脈の状態を確認したりします。手術前の評価として行われることが多い検査です。
最近では、心臓MRIやCT検査も弁膜症の診断に使用されることがあります。これらの検査では、心臓の構造をより詳細に観察でき、複雑な弁膜症の評価に有用です。
心臓弁膜症がもたらす合併症
心臓弁膜症を適切に治療せずに放置すると、さまざまな合併症を引き起こす可能性があります。最も重要な合併症は心不全です。弁の異常により心臓に負担がかかり続けると、心臓の筋肉が疲弊し、ポンプ機能が低下します。息切れ、むくみ、疲労感などの症状が悪化し、日常生活に大きな支障をきたすようになります。
不整脈、特に心房細動は、弁膜症でよく見られる合併症です。僧帽弁の病気では左心房が大きくなり、心房細動が起こりやすくなります。心房細動になると、心房内で血液がよどみ、血栓ができやすくなります。
血栓塞栓症は、心臓内でできた血栓が血流に乗って飛んでいき、他の臓器の血管を詰まらせる危険な合併症です。脳の血管が詰まれば脳梗塞、肺の血管が詰まれば肺塞栓症を引き起こします。特に心房細動を合併している場合は、血栓塞栓症のリスクが高くなります。
感染性心内膜炎は、損傷した弁に細菌が付着して起こる感染症です。弁膜症があると、正常な弁に比べて細菌が付着しやすくなります。高熱、全身倦怠感、新たな心雑音の出現などが見られ、適切な治療を行わないと弁の破壊が進行し、生命に関わることがあります。
肺高血圧症は、長期間にわたって左心系の弁膜症が続くと起こることがあります。左心房の圧力が上昇し、それが肺血管に伝わることで、肺の血管が障害されます。一度肺高血圧症が進行すると、手術をしても改善しないことがあるため、適切なタイミングでの治療が重要です。
突然死のリスクも無視できません。特に重症の大動脈弁狭窄症では、運動時に突然死する危険があります。また、重症の僧帽弁逸脱症でも、致死的な不整脈により突然死することがあります。
心臓弁膜症の治療選択肢
心臓弁膜症の治療は、弁膜症の種類、重症度、患者さんの年齢や全身状態などを総合的に判断して決定されます。治療法は大きく分けて、薬物療法と外科的治療(手術)があります。
薬物療法は、症状を和らげ、心臓の負担を軽減することを目的として行われます。利尿薬は体内の余分な水分を排出し、むくみや息切れを改善します。ACE阻害薬やARBは血管を広げて心臓の負担を軽減します。β遮断薬は心拍数を下げて心臓を休ませます。心房細動がある場合は、抗凝固薬を使用して血栓の形成を予防します。
しかし、薬物療法はあくまで対症療法であり、弁そのものの異常を治すことはできません。弁膜症が進行して症状が悪化したり、心臓の機能が低下したりした場合は、外科的治療が必要になります。
外科的弁置換術は、損傷した弁を人工弁に置き換える手術です。人工弁には機械弁と生体弁があります。機械弁は耐久性に優れていますが、生涯にわたって抗凝固薬の服用が必要です。生体弁は抗凝固薬が不要ですが、10〜20年で劣化するため、再手術が必要になることがあります。どちらを選ぶかは、患者さんの年齢やライフスタイルなどを考慮して決定されます。
弁形成術は、弁を修復して機能を改善する手術です。特に僧帽弁閉鎖不全症では、弁を切除せずに修復することが可能な場合が多く、自己の弁を温存できるメリットがあります。人工弁への置換に比べて、術後の抗凝固療法が不要で、心機能の温存にも優れています。
経カテーテル大動脈弁置換術(TAVI/TAVR)は、開胸手術をせずにカテーテルを使って人工弁を留置する新しい治療法です。太ももの血管からカテーテルを挿入し、狭窄した大動脈弁の内側に新しい弁を留置します。高齢者や手術リスクの高い患者さんに適しており、体への負担が少ないのが特徴です。
経皮的僧帽弁クリップ術(MitraClip)は、僧帽弁閉鎖不全症に対するカテーテル治療です。クリップで僧帽弁の前尖と後尖を挟むことで、逆流を減少させます。手術リスクの高い患者さんに適応されます。
日常生活での管理と注意点
心臓弁膜症と診断されても、多くの方は適切な管理により、充実した日常生活を送ることができます。まず重要なのは、定期的な受診と検査です。症状がなくても、年に1〜2回は心エコー検査を受け、弁膜症の進行を確認することが大切です。
日常生活では、過度な運動は避ける必要がありますが、適度な運動は心臓の健康維持に役立ちます。散歩や軽い体操など、息切れしない程度の運動を継続することが推奨されます。ただし、重症の大動脈弁狭窄症では、激しい運動は危険なため、医師の指示に従ってください。
感染予防も重要です。特に歯科治療を受ける際は、事前に弁膜症があることを歯科医に伝える必要があります。抜歯などの処置の前に、予防的に抗生物質を服用することがあります。また、日頃から口腔ケアを徹底し、虫歯や歯周病を予防することが大切です。
食事面では、塩分制限が基本となります。塩分の摂りすぎは体に水分をため込み、心臓の負担を増やします。1日の塩分摂取量は6g未満を目標にしましょう。また、適正体重の維持も重要です。肥満は心臓への負担を増大させるため、バランスの良い食事と適度な運動で体重管理を行いましょう。
薬の管理も大切です。処方された薬は指示通りに服用し、自己判断で中止しないようにしましょう。特に抗凝固薬を服用している場合は、定期的な血液検査が必要です。また、他の病院を受診する際は、必ず服用中の薬を伝えてください。
手術を受けた方は、術後も定期的なフォローアップが必要です。人工弁の機能確認、抗凝固療法の調整、感染性心内膜炎の予防など、生涯にわたる管理が必要となります。
心臓弁膜症についてよくある質問
弁置換術や弁形成術により症状は大幅に改善し、多くの方が通常の生活を送れるようになります。しかし、「完治」というよりは「良好にコントロールされた状態」と考える方が適切です。手術後も定期的な検査が必要で、人工弁の場合は耐用年数があるため、将来的に再手術が必要になることもあります。重要なのは、適切な時期に適切な治療を受け、その後も継続的に管理していくことです。
A.高齢者(特に65歳以上)、リウマチ熱の既往がある方、先天性心疾患(二尖弁など)を持つ方、家族に弁膜症や突然死の方がいる場合などがハイリスクです。また、透析を受けている方、放射線治療の既往がある方、特定の薬剤を長期服用していた方もリスクが高くなります。これらに該当する方は、症状がなくても定期的な心臓検査を受けることをお勧めします。
症状が軽度でも、定期的な経過観察は必要です。弁膜症は進行性の病気であり、症状がない段階でも心臓に負担がかかっている可能性があります。定期的な心エコー検査により、弁膜症の進行や心機能の変化を確認し、最適な治療時期を逃さないことが重要です。また、感染性心内膜炎の予防など、日常生活での注意点を守ることも大切です。
多くの方は手術後3〜6ヶ月で日常生活に復帰できます。心臓リハビリテーションを受けることで、より安全に、効果的に回復できます。仕事への復帰時期は、仕事の内容や回復の程度により異なりますが、デスクワークなら1〜2ヶ月、肉体労働なら3〜6ヶ月が目安です。スポーツも、医師の許可があれば徐々に再開できます。ただし、機械弁の方は抗凝固薬の関係で、接触の激しいスポーツは避ける必要があります。
心臓弁膜症そのものが直接遺伝することは稀ですが、弁膜症になりやすい体質は遺伝することがあります。例えば、先天性の二尖弁、マルファン症候群などの遺伝性結合組織疾患、家族性の僧帽弁逸脱症などは遺伝的要因が関与しています。家族に弁膜症の方がいる場合は、若いうちから心エコー検査を受けることをお勧めします。早期発見により、適切な管理と治療が可能になります。
まとめ
心臓弁膜症は、心臓の弁に異常が生じて血液の流れに支障をきたす病気です。加齢による変性、リウマチ熱の後遺症、先天性異常、感染症などが原因となり、息切れ、疲労感、むくみ、動悸などの症状が現れます。
診断は聴診による心雑音の発見から始まり、心エコー検査で確定診断されます。治療は薬物療法から始まりますが、病気が進行した場合は、弁置換術や弁形成術などの外科的治療が必要になります。最近では、TAVIなどのカテーテル治療も選択肢として加わり、高齢者や手術リスクの高い方にも治療の道が開かれています。
心臓弁膜症は進行性の病気ですが、適切な時期に適切な治療を受けることで、多くの方が良好な経過をたどります。重要なのは、定期的な検査を受けて病気の進行を把握し、最適なタイミングで治療を受けることです。
日常生活では、適度な運動、塩分制限、感染予防、薬の適切な管理などを心がけることで、心臓への負担を軽減できます。心臓弁膜症と診断されても、決して悲観する必要はありません。現代の医療により、多くの方が充実した生活を送ることができるようになっています。
心臓は生命の源です。大切な心臓を守るために、症状がある方は早めに受診し、診断された方は適切な管理を続けていきましょう。

仁川診療所
院長 横山 亮
(よこやま りょう)